長沼健日本サッカー協会最高顧問逝去

もう皆さんご存知だと思いますが・・・。
6月2日、日本サッカー協会最高顧問の長沼健氏がご逝去されました。


サンフレッチェ広島vs湘南ベルマーレの行われたビックアーチにおいて、記帳所が設置されていました。
chika-chanとyuki-chanはもちろん記帳してきました。




長沼 健 (財)日本サッカー協会最高顧問のご逝去に哀悼の意を表する記帳所の設置についてのご案内


(財)広島県体育協会・(財)広島県サッカー協会・サンフレッチェ広島は、広島県のサッカー界を今日まで陰になり、日向になり支えていただいた、
(財)日本サッカー協会最高顧問の長沼 健氏のご逝去に哀悼の意を表すとともに、広島のサッカー界への多大なる貢献に対して感謝の意を表すため、次の通り、記帳所を設置させていただきますので、ご案内いたします。

 対象試合   2008年6月8日(日)vs.湘南ベルマーレ @広島ビッグアーチ16:00キックオフ 
 実施時間   12:30〜18:30 (試合開始3時間30分前から、試合終了後30分まで) 
 場所   広島広域公園陸上競技場広島ビッグアーチ) 正面2階入口 右側 なお、2008年6月8日(日)のJ2リーグ第18節サンフレッチェ広島vs湘南ベルマーレの試合会場では、競技場内のJリーグ、及び、両クラブ旗は半旗とし、サンフレッチェ広島の選手、スタッフ、及び、審判は喪章をつけて、プレー、任務にあたります。また、キックオフ前には、観客のみなさま方にも呼びかけさせていただき、黙祷を捧げることにしております。 
(故)長沼 健氏  長沼氏は広島市生まれで、旧広島高等師範学校附属中学校(現 広島大学附属高等学校)の出身。日本代表の監督として、1964年の東京オリンピックでベスト8、1968年のメキシコオリンピックで銅メダルに輝いた。1994年から1998年には、(財)日本サッカー協会会長として、1998年の初のワールドカップ出場と、2002年のワールドカップ日本招致にご尽力されました。6月2日ご逝去、77歳。 

長沼 健 日本サッカー協会最高顧問逝去に伴う岡野俊一郎名誉会長の追悼の言葉(08.06.02)


 財団法人日本サッカー協会の長沼 健 最高顧問の逝去に伴い、岡野俊一郎名誉会長の追悼の言葉をお知らせします。


岡野俊一郎名誉会長 追悼の言葉】


「昭和22年、戦後復活第一回全国中等学校選手権(現在の高校選手権)が西宮球技場で行われ、第二回戦で中国代表広島高等師範付属中学校と東京代表都立五中とが戦った。健さんと私が初めて出逢った試合、結果は5-0で健さんの勝ち。
昭和28年、ユニバーシアードの前身の国際大学スポーツ週間に参加の日本学生代表チームで初めて同じチームでプレー。
昭和30年、ビルマ、タイ遠征 日本代表でも一緒になった。
昭和38年、翌年の東京オリンピックの直前に日本代表の監督、コーチに指名され、それから昭和46年まで8年間、監督、コーチとして世界中を廻った。
健さんが監督、私がコーチという関係は、二人が代表チームを離れても続き、会長・副会長、名誉会長・会長と、62年にわたって二人の交友は続いた。今日、健さんの逝去の報せを聞き、実の兄を失った気持ちで、そのショックは言葉に表せない。
メキシコの銅メダルを含め、その足跡の大きさは、日本のサッカーの歴史に永遠に記録されるものだ。
今は唯、御冥福を祈ることと、ご家族を少しでも支えたいという以外、言葉がない」


長沼氏は、日本代表監督を務めたこともあり、元(財)日本サッカー協会会長でもあります。
1954年3月7日、神宮競技場(現・国立競技場)の対韓国戦でW杯予選における日本代表の第1号ゴールを決めた人として知られています。
日本サッカー界には無くてはならない存在です。


今日の湘南戦では、両チームの選手や審判団も喪章を付けてプレーしていました。
当然、JFA旗や球団旗も半旗。
試合開始時にはスタジアム全体で黙祷です。


長沼氏のご冥福を祈ります。


試合の方は、ベルマーレの主力選手が出場停止ということもあり、サンフレッチェのポゼッションが勝り、ゴールラッシュ。
終わってみれば5-2。
完勝でした。
ただし、終了間際の失点はいただけないですけど・・・。


これで2位のセレッソと(消化試合も1試合少ない状況で)勝ち点差4をつけて首位を独走です。
目標はJ1復帰だけです。
「ALL FOR J1」